
今回は推し馬のローレルベローチェを引退に追いやった悪名高き病魔「屈腱炎」について可能な限り書こうと思います。
まず、忙しい方へ結論。
屈腱炎とは、人間でいうところの癌に値する競走馬特有の「病気」であり、根治が難しいことから発症すると長期離脱か引退を余儀なくされる、いわゆる致命傷である。
もくじ
屈腱炎の状態
そもそもにして屈腱とはどこなのかを知る必要があります。屈腱とは馬の前脚にある浅指屈筋腱(せんしくっきんけん)を指し、人体で表すと中指の付け根から手首までの骨にある腱(手のひら側)にあたります。馬の指骨(指にある骨)は第3指のみとなっており、前肢(ぜんし-4足歩行動物の前2本)にかかる体重をこれで支えています。馬の腱は主にタンパク質の糸が集まり、真っ直ぐに規則正しくならんだコラーゲンで構成されます。屈腱は歩く、走るを可能にする腱のため、人間の「場所」だと手のひらですが、役割的にはアキレス腱に該当すると言えます。アキレス腱というだけで傷を負ってはならぬ場所であることが想像出来ます。
この腱の「一部」が切れる・変性するなどで出血や炎症を起こす病気が「屈腱炎」となり、人体アキレス腱は腱全てがきれると「アキレス腱断裂」となるが、競走馬の場合は全てが切れるわけではなく一部のケースが大半を占めます。また、生命に危険を及ぼすことはありません。
豆*アキレス腱の名称は、ギリシャ神話に登場する英雄アキレウスに由来する。アキレウスのかかとはとある理由から弱みであったが、戦争によって命を落とす際に、弱点であるかかとを弓で射られていた。屈強で負け知らずの男アキレウスに致命傷を与えたことからその部分をアキレスとして使われるようになる。
屈腱炎の原因
2019年現在でも明確な原因は解明されていません。ただ、少しづつ近づいています。経過的に見ると、瞬発的な強い力が加わった衝撃で発症する訳ではなく、継続的なダメージが積み重なり脆弱となった腱が結果として屈腱炎を発症すると考えられています。
一つ、数値として明確になっていることがあります。それは、屈腱の変性温度です。変性とは性質が変わってしまうことです。何度になると屈腱(コラーゲン)に異常をきたしてしまうのか。個体差はありますが、約42度で変性するという研究データがあります。馬の安静時の平熱は37度~38度です。これが馬なりではなく、いわゆる一杯の調教をした直後は40度まで上がります。しかし屈腱部分の温度は45度まで上昇したケースもあったそうです。限界とされる42度を上回っていたのです。
運動が終わりクールダウンすれば変性はある程度防げるようですが、これを繰り返し行うことで徐々にダメージが蓄積され、最終的に屈腱炎の状態に至ると考えられます。
発症しやすいケース(統計データから推測)
・馬体重が重い
・芝馬に多い
・馬齢を重ねるごとに確率が増す
・短距離馬より長距離馬に多い
・牝馬より牡馬に偏る(およそ1.5倍)
復帰は可能か
可能か不可能かの2択で言えば可能のようです。ただ、それは稀なケースであり基本的には引退の二文字が迫ります。なぜ稀なのか。屈腱炎は慢性化する病気であり前述したように根治が難しく、復帰後すぐに再発することもあります。大事をとって引退を選択する場合が多いというのが現状です。特に優秀な成績を持つ牡馬は種馬としての期待も大きいため無理せず引退させることになります。
引退に追い込まれた名馬、期待馬たち
屈腱炎によって引退を余儀なくされた名馬は多く、いかに復帰が難しいかを物語っています。今振り返るとローテーション(出走スケジュール)が原因と断定できるものも。そのごく一部をご紹介します。個人的な主観があるのはご容赦ください。
馬名
(現役期間:主な成績)
(1992年-1994年:弥生賞1着、東京優駿1着、京都新聞杯1着、菊花賞3着、JC3着)
*4歳で出走した天皇賞秋のレース中に屈腱炎を発症。翌日に引退を表明。
(1992年-1994年:皐月賞2着、東京優駿2着、菊花賞1着、有馬記念2着、天皇賞春1着、宝塚記念1着)
*4歳で出走した天皇賞秋のレース中に屈腱炎を発症。生涯初の着外。ウイニングチケットに続く格好で引退を表明。半弟にナリタブライアンがおり、有馬記念での兄弟対決は夢のものとなった。
(1993年-1996年:皐月賞1着、東京優駿1着、菊花賞1着、有馬記念1着、阪神大賞典連覇)
*3冠馬、シャドーロールの怪物も高松宮記念後に屈腱炎を発症。治療を行うも回復が見られず引退を表明。
(1994年-1995年:デビューから4戦全勝)
*衝撃の弥生賞から3週間。屈腱炎が認められ協議の結果引退を表明。底を見せぬままターフを去る。
(1995年-1997年:菊花賞1着、有馬記念1着、宝塚記念1着、天皇賞春1着)
*世界レコードを叩き出した天皇賞春。その後の調教で屈腱炎を発症。9月に引退。ジャパンカップでの走りは相当に期待されていた。
(1995年-1996年:弥生賞1着、東京優駿2着、京都新聞杯1着、菊花賞1着)
*最後の一冠である菊花賞を勝った翌日に屈腱炎を発症。そのまま引退が決定した。
(1998年-2001年:皐月賞1着、菊花賞1着、天皇賞春3着、札幌記念1着)
*天皇賞秋の後に屈腱炎を発症。一年半の休養を挟み、天皇賞春で復帰するもこれを最下位。そのレースを最後に引退が決まった。
(2000年-2001年:デビューから4戦全勝(皐月賞含む)
*1.3倍の圧倒的人気で勝った皐月賞。その後に発症。放牧後に引退が決定。皮肉にも名は体を表す結果となった。
(2000年-2001年:毎日杯1着、NHKマイル1着、武蔵野S1着、JCダート1着)
*12月24日クリスマスに発症。強すぎるジャパンカップダートが最後のレースとなり、調教師は己を悔む結果となった。
(2001年-2002年:スプリングS1着、皐月賞3着、NHKマイル3着、東京優駿1着)
*ダービーを勝利するも菊花賞を次の目標に定めた途端に発症。左。
(2002年-2004年:スプリングS1着、皐月賞1着、東京優駿1着、大阪杯1着)
*宝塚記念に向けて調整中に発症。ミルコデムーロが愛した当馬は、12億のシンジケートが組まれた。
(2003年-2004年:8戦7勝(毎日杯、NHKマイル、東京優駿、神戸新聞杯)
*ダービーを勝利し、3歳にして天皇賞秋への参戦を決意するも、神戸新聞杯後に発症。引退。
(2006年-2008年:桜花賞1着、秋華賞1着、エリ女1着、大阪杯1着、有馬記念1着)
*牝馬による37年ぶり有馬記念制覇の代償は大きかった。年が明けてドバイを目標とするも2月に発症。引退。安藤勝己とのコンビが印象的だった。
(2012年-2015年:京都新聞杯1着、東京優駿1着、ニエル賞1着、凱旋門賞4着)
*英雄の脚は満身創痍だった。天皇賞春を駆け、凱旋門回避の決断をするも9月に発症。引退。
ほとんどが芝…
屈腱炎まとめ
状態:腱の一部が変性、断裂する
原因:腱への疲労蓄積(推測・個体差あり)
復帰:極めて困難
予防:人間次第
屈腱炎を調べてみて
調べながら記事作成をした個人的な意見ですが「蓄積・消耗」によるものと断定できることから、年間の出走回数を減らすことでしか予防は出来ないのではないでしょうか?ただ、外部的な治療が可能になれば話しは変わってくるとは思います。例えば超音波で毎日ケアが出来る、腱の状態を何らかの装置で毎日チェックできるなど。馬自身はどうなのでしょうか?人体アキレス腱は予兆なく突如として切れてしまうことから(個人差あり)、馬も腱の状態は感じ取れていないのかもしれませんね。通常の生活(競走能力を使わない)をしていれば屈腱炎を発症しないことは明らかになっているので、競馬が競走馬に背負わせた病と言えることは間違いなさそうです。
これはあくまでも憶測ですが、屈腱炎に対する革新的な治療が発表されることは将来的に見ても無いと思います。どのように屈腱炎と向き合っていくか。使うほどに屈腱炎が近づくことは関係者ならば誰もが承知の事実。無事これ名馬。名馬に導くのはスタッフや馬主次第と言えるのではないでしょうか。
走ってなんぼ、使ってなんぼ、勝ってなんぼの競馬の世界。その状況に終止符を打とうとする調教師の方もちらほら出てきていますね。いかなる職種でも悪しき文化は厄介なことに強く根をはっているものです。それはその者にとって優位に働くためです。過酷な調教、ローテーションをこなし、良い成績を収め、無事引退する馬もいることから、加減が難しいのもまた事実。医学の進歩ではなく、人間の進歩が必要なのかもしれません。

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